球団合併問題

某オーナーの言い方を借りれば、私が何を言ったところでなんにもならないのは分かっているが。
あまりにもファンの気持ちをないがしろにしているのではないか。例えば、私は阪神ファンである。それが、ある日突然「経営不振なので読売と合併します。来年から読売タイガースですのでよろしく」と言われて、はいそうですかとそこに乗り換えられるか、といえば答えは明らかだ。もちろん「ふざけんな」である。
とは言っても、来年から阪神が本当になくなるとしたら、「じゃあ別の球団を応援するか」となるか。少なくても私ならNOだ。ほかに「比較的好きなチーム」はある。例えば広島なんかはそのチームカラーは好きだ。だが、それが私の場合の阪神の代わりになるか、といえばそれは違う。阪神に代わるものはない。もしそうなったら、私は日本のプロ野球ファンをやめ、「私の好きだった阪神タイガース」があった時代を懐かしみながら、大リーグかサッカーでも見るだろう。あるいはスポーツそのものに関心を一切失い、全く別の趣味を見いだそうとするかもしれない。
そして、そんなのはいやなのである。私は野球が好きだ。阪神ファンをやめたくなんかないのだ。
きっと、今合併問題の渦中にあるチームのファンの人も同じ気持ちなのではないかと思う。そう思うといたたまれない。
さらに言えば、私が理解しがたいのが近鉄が買収について一言のうちに否定しさったことである。確かに、ライブドア社の経営基盤は盤石とは言い難いというのは事実だろう。今は好調でも、それが10年、20年と続いていくかはあやうい。
だが、言い換えればその程度の企業でも球団を買収できるぐらいの資金力はある、ということになる。となれば、数年後にライブドア社が再び球団を手放さざるを得ないような状態になっても、その時点で現段階でのライブドア社程度の財政内容の企業があればそこが再び球団を買い取るということもあり得るのではないか。つまり、その時点その時点で球団を経営できる能力のある企業が経営を引き継いでいく、という流れができてきてもいいではないか。大リーグではこういったことがごく普通に行われていると聞く。
なぜ、日本ではそれではいけないのか。その説明が明確ではない。「伝統」や「特殊な事情」などという、聞こえのいい(それでいて実際には何も説明していない)説明があるだけだ。
もっとも、その説明の裏にある、隠しておきたい本当の理由はかなりはっきりと見える。要するに、「自分の支配の及ばない新参者に参入して欲しくない」というだけだ。今の日本球界は、読売がすべての支配権を握り、自分に都合のいい状況を作り、ほかの球団はそれを認めることでそのおこぼれにあずかり、それによって経営を成り立たせてきた。いってみればすべての球団が読売の下部組織であるも同然なのだ。
近鉄が合併にこだわり、買収を拒否するというのは、この構造を崩したくないというその一点にあるように思える。
選手会側は「ストも辞さず」との姿勢で臨むようだ。ストライキは労働者の権利である。やるなら堂々と断行すればいいと思う。それを理由に契約交渉で不利な扱いをされたなら、それこそ提訴ものだ。まあ実際にストをやろうとしてもどのぐらい同調者が出るかは分からないが。(くびにすると言われれば及び腰になったとしても仕方がないことだ)
考えれば考えるほど、この球団合併問題、日本というものの構造の縮小模型のように見えてくる。