いまさらながら

ナンシー関『地獄で仏』(文春文庫)読む。
本屋の店頭で『記憶スケッチアカデミー2』を立ち読みしていて店頭にも関わらず思わず吹き出してしまって、それで改めてこの人のものを読みたくなったのだけれど。
この本は基本的に時事対談で、収められているのは92年から95年頃のもの。つまり「10年ぐらい前の『今』」についての語りということになる。
しかし、時事ものにありがちな「時代の流れに乗せられたことによる『痛さ』」というものが不思議と感じられない。ナンシー関は確かに「今」について語っている。しかしその背後には、確固とした「自分の価値観」がある。何について語っていても、ナンシーはナンシーだ。いつでもどこでもナンシーだ。
だから、この対談は古びない。
彼女が急逝してから1年半になる。今もし彼女がいたとしたら、彼女は「今」をどう語るだろうか。